ニネヴェ平原の集落

イラク北部、モースルの北から東にかけて広がるニネヴェ平原は、宗教的・民族的に多様な地域として知られます。この地域はイラク本土とクルディスタン自治区の境界に当たり、アッシリア人、ヤズィーディー、シャバク人といった少数派の人々の集落が無数に点在しています。

現代のアッシリア人とは、アラム語の東方言を母語とし、独自のキリスト教を奉じ、古代アッシリア人の末裔を自称する人々を指します。ニネヴェ平原北部のテルケイフ地区や東部のハムダーニーヤ地区のほか、トルコ南東部のトゥル・アブディン地域や、イラン北西部のオルーミーイェ周辺を伝統的な居住区とします。

ヤズィーディーはクルド人の一派で、独自の信仰を持つ人々です。イラン系の自然信仰を基本としながらも、キリスト教やイスラム教との習合も見られ、神との仲介者として孔雀天使を奉じます。ニネヴェ平原北東部のシェハン地区や、モースル西方のシンジャール周辺のほか、トルコ南東部やシリア北西部をも故地とします。

2014年には過激派組織ISが台頭し、ニネヴェ平原の少数派集落は多くがその支配下となり、住民は脱出を余儀なくされました。2016年秋に奪還されたものの、集落は徹底的に破壊され、教会や寺院は冒涜されて火が放たれました。

現在はインフラの復旧が済み、教会や寺院も再建され、住民が戻りつつありますが、様々な事情でこの地を離れる人も少なくないようです。

カラコシュ
Qaraqosh

モースル南東に位置する、ハムダーニーヤ地区の中心となる町です。トルコ語由来のカラコシュが通称ですが、シリア語でバクディーダ、アラビア語でハムダーニーヤとも呼ばれます。ニネヴェ平原で最も人口が多く、住民の大半をキリスト教徒のアッシリア人が占めており、多くはシリア・カトリック、一部がシリア正教会の信奉者です。2014年に過激派組織ISが侵攻した際に壊滅しましたが、現在は復興しています。

町の入り口に立つ大きな十字架 (2017年4月)

聖ベーナム・サラ教会 (Mar Behnam and Mart Sarah Church)

キリスト教に改修したことで殉教した、アッシリアの王子と王女の名を冠した教会です。シリア・カトリックの管轄となっており、町を代表する教会の一つです。郊外には同名の古い修道院があり、ベーナムとサラの廟が設けられています。

シリア・カトリックの聖ベーナム・サラ教会 (2017年4月)

過激派組織ISにより破壊された (2017年4月)

祭壇の周り (2017年4月)

倒壊した鐘楼 (2017年4月)

現在は綺麗に修復されている (2023年10月)

倒壊した鐘楼はそのままだが、新しい鐘楼が建設された (2023年10月)

その他の見どころ

シリア・カトリックの無原罪懐胎教会 (2023年10月)

修復された内部 (2023年10月)

装飾品が保管されている (2023年10月)

ローマ教皇も2021年に訪れた (2023年10月)

カレムラシュ
Karemlash

ハムダーニーヤ地区に属し、バクディーダとバルテラの中間に位置する小さな町です。住民はキリスト教徒のアッシリア人で、カルデア・カトリックの信徒が大半を占めています。ISの侵攻により被害を受けましたが、現在は復興を果たしています。

町の入り口の歩道橋に施されたパームサンデーの装飾 (2017年4月)

まだ住民が戻る前だが、こちらのアーチも飾られている (2017年4月)

町は復興し、アーチにも電飾が灯っている (2023年10月)

道路脇に飾られた新しいマリア像 (2023年10月)

聖バルバラ修道院 (Mart Barbara Monastery)

聖バルバラはニコメディア(現トルコ)の人物とされますが、この地にも同様の伝承が残っており、町の入り口にはその名を冠した修道院が建っています。ISによる冒涜を受け、地下には隠し通路が掘られていましたが、現在は修復され、美しい電飾が施されています。

カルデア・カトリックの聖バルバラ修道院 (2017年4月)

ISにより冒涜され、外壁には落書きが多くみられた (2017年4月)

シリア語の石碑はつるはしで傷つけられていた (2017年4月)

聖バルバラのものとされる石棺も破壊された (2017年4月)

ISが掘った隠し通路の入り口 (2017年4月)

修道院裏手の丘から町を見下ろす (2017年4月)

丘の上には十字架と旗が掲げられている (2017年4月)

修復された聖バルバラ修道院 (2023年10月)

内部も美しく整えられている (2023年10月)

華やかな電飾が施されている (2023年10月)

その他の見どころ

カルデア・カトリックの聖アッダイ教会 (2017年4月)

アッダイは使徒タダイを指すものと考えられている (2017年4月)

ISにより破壊されたが元の位置に戻された鐘楼 (2017年4月)

後日修復された教会 (2023年10月)

外壁は無塗装になり、鐘楼はより高く変更された (2023年10月)

大人数を収容できる内部 (2023年10月)

祭壇の内装も変更されている (2023年10月)

新しく設置されたマリア像 (2023年10月)

バルテラ
Bartella

ハムダーニーヤ地区に属し、モースルの東に位置する町で、すぐ先にはクルド自治区との境界があります。住民の大半はキリスト教徒のアッシリア人です。ISからの奪還後、いち早く復興に着手しました。

聖シュモニ教会 (Mart Shmoni Church)

セレウコス朝期のユダヤ人迫害に抵抗した女性にちなんだ、シリア正教の教会です。棄教を拒否した女性は目の前で7人の息子を殺され、最後には本人も殺されたという逸話が旧約聖書にあり、この地域ではシュモニという名で伝わっています。

シリア正教の聖シュモニ教会 (2017年4月)

門の上にはシュモニと7人の息子の逸話が描かれている (2017年4月)

建物の外観は軽微ながら被害を受けた (2017年4月)

聖職者の像はISにより首が落とされていたが修復された (2017年4月)

小部屋にはISが設置した爆発物が残っていた (2017年4月)

教会の内部には火が放たれたが、建物の構造は無事だった (2017年4月)

復興作業に集まった住民 (2017年4月)

教会は修復を繰り返しており、窓の中には教会の古い部分が見える (2017年4月)

祭壇の上部の彫刻はISの被害を免れた (2017年4月)

祭壇の奥 (2017年4月)

鐘楼の十字架はISにより破壊された (2017年4月)

墓地と住宅地を望む (2017年4月)

後日完全に修復され、鐘楼にも新しい十字架が設置された (2023年10月)

教会の建物にも大きな十字架が設置されている(2023年10月)

その他の見どころ

門が大きく破壊されたシリア正教の聖母マリア教会 (2017年4月)

教会の入り口 (2017年4月)

シャンデリアや調度品が床に散乱しているが、建物は概ね無事だった (2017年4月)

花が大事に飾られている (2017年4月)

シリア・カトリックの聖ゴルギス教会もISの被害を受けた (2017年4月)

門にはシリア語、アラビア語、英語が併記されている (2017年4月)

内部には火が放たれ荒れ果てていた (2017年4月)

聖ゴルギス教会には古い建物もあり、こちらは奇跡的に軽微な被害で済んだ (2017年4月)

裏手にある墓地 (2017年4月)

質素だが重厚な内部 (2017年4月)

4月だがクリスマスツリーが飾られていた (2017年4月)

バシカとバーザニ
Bashiqa and Bahzani

ハムダーニーヤ地区に属し、モースルの北東に位置する町で、2つの町は連結しています。すぐ先にはクルド自治区との境界があります。住民はヤズィーディー、キリスト教徒のアッシリア人、イスラム教徒のシャバク人が暮らし、3つの少数派が共存する大変珍しい場所です。アラクという蒸留酒の生産で名高く、アラク・バシカという呼称で親しまれているほか、オリーブが名産として知られています。ISの侵攻により壊滅しましたが、現在は復興し多数ある寺院も再建されました。

住民の多くはヤズィーディーの人々で、多くの廟が点在する (2018年12月)

ヤズィーディーの聖人の眠る廟 (2018年12月)

丘の上に並ぶ3つの廟 (2023年10月)

キリスト教徒のアッシリア人も住み、教会が見られる (2018年12月)

シリア正教の教会 (2018年12月)

ヤズィーディーの寺院、教会、モスクが同時に見える (2018年12月)

オリーブの生産でも知られる (2023年10月)

テルケイフ
Tel Keif

モースルの北に位置し、テルケイフ地区の中心となる町で、シリア語でテルケッペとも呼ばれます。伝統的にはキリスト教徒のアッシリア人の町で、特にカルデア・カトリックの信徒が中心でしたが、ISからの解放後も政治的な事情で帰還が進まず、住民の大半はイスラム教徒のアラブ人となっています。

カルデア・カトリックの教会 (2018年12月)

ISからの奪還後に修復された (2023年10月)

この地域でしばしば目にする殉教者の名を冠した聖シュモニ教会 (2023年10月)

数少ないアッシリア東方教会 (2023年10月)

アルコシュ
Alqosh

テルケイフ地区に属する中で、クルド自治区側に位置する町です。住民はカルデア・カトリックを中心とした、アッシリア人キリスト教徒です。ISの侵攻時には、アッシリア人集落が相次いで陥落する中、最北のこの町にもあと3kmと迫りましたが、地元の有志が撃退し、主要な集落としては唯一難を逃れました。郊外の崖の中腹には、7世紀に創建の聖ホルミズド修道院が残っています。

町の入り口 (2018年12月)

ニネヴェ平原の集落では珍しく古い様式の建物が多い (2017年4月)

住宅に描かれたキリスト教の壁画と装飾 (2017年4月)

丘の上の墓地 (2016年3月)

イースターを祝う家族 (2017年4月)

聖ゴルギス教会 (Mar Gorgis Church)

町で最も古い歴史を持つとされるカルデア・カトリックの教会で、起源は定かではありませんが、現在の建物は20世紀初頭に建て直されています。旧市街の中心に建ち、近隣には聖ミハ教会や預言者ナホムの墓が残っています。

町で最も古い歴史を持つ聖ゴルギス教会 (2016年3月)

正門は入り組んだ路地の中にある (2016年3月)

クリスマスの礼拝 (2018年12月)

参祷する住民 (2018年12月)

壇上に並ぶ子供達 (2018年12月)

参祷者に聖体拝領を施す司祭 (2018年12月)

中庭の美しい祭壇 (2018年12月)

預言者ナホムの墓 (The Tomb of Prophet Nahum)

旧約聖書の預言者ナホムのものとされる霊廟です。現在この地にユダヤ人は暮らしていませんが、現地の住民が鍵を預かり、保全を担っています。

外壁は老朽化が進んでいるが修復が計画されている (2017年4月)

中庭と併設された学校の跡 (2016年月)

ヘブライ語の碑文 (2017年4月)

シナゴーグの内部 (2017年4月)

預言者ナホムのものとされる墓 (2017年4月)

その他の見どころ

メソポタミアの建築様式を踏襲している (2016年3月)

聖ホルミズド修道院への道沿いに建っている (2016年3月)

聖アウギンの弟子に由来する聖ミハ教会 (2017年4月)

写真・文 : 田村 公祐

現在 ¥0
    送料無料まで ¥10,000