レバノンはアラブ諸国で随一のワイン産地です。地中海交易を担った古代のフェニキア人は、ワインを各地に伝えました。地中海性気候に属し、寒暖差と豊富な日照量に恵まれ、歴史的な経緯からフランスのワインに影響を受けており、フランス品種が多く用いられるほか、ユニークな土着品種も残っています。とりわけ赤ワインが多く生産されており、ロゼワインにも定評があります。
レバノンにおけるワインの歴史は古く、一般的には5,000年ほど前に遡るといわれます。現在のレバノンを含む、地中海東岸を拠点に交易を担ったフェニキア人は、北アフリカやイベリア半島、ギリシャの島々にワインを伝えました。ワインの一大産地であるベカー高原には、ローマ時代のバールベック遺跡が残っており、酒神バッカスの神殿は、当時よりこの地がワインと密接だったことを物語っています。旧約聖書のホセア書にも「レバノンのぶどう酒」という記述があり、賞賛の対象として表現されています。
中世に入ると、十字軍の時代を除いてレバノン一帯は、アラブ系王朝やオスマン帝国といった、イスラム王朝の支配下となります。そうした中でも、キリスト教徒やユダヤ教徒は宗教的な目的に限り、アルコール生産を認められてきました。
レバノンでのワイン生産が本格化するのは、オスマン帝国下にあった19世紀中頃のことです。イエズス会の宣教師が、アルジェリアからサンソー、カリニャン、グルナッシュといった品種の苗を持ち込み、近代のワイン産業の先駆者となるシャトー・クサラを設立しました。後にイエズス会より民間に売却されますが、今もなお最大手としてレバノンのワイン生産を牽引しています。
オスマン帝国が解体されると、レバノンはフランスの委任統治下に入ってワインの商業化が進み、この年代にも著名なワイナリーがいくつか誕生しました。
1943年にはフランスの委任統治が終わり、レバノンは独立を果たしますが、1975年より始まった内戦により、国土は荒廃しました。しかし、困難な状況にも屈せず、各社はワインの生産を続けました。
1990年に内戦が終結した時点でわずか5社だったワイナリーは、2000年頃より急増し、現在は50社を超えています。レバノンには、ワインよりも一般に浸透していたアラクという、ブドウ由来の蒸留酒があり、そのアラクの製造業者がワイン生産に乗り出したほか、特に小規模なワイナリーが増えました。多数のワイナリーが集結するワインフェスティバルも毎年開催され、ワインシーンは活況を呈しています。
西は地中海、北と東はシリア、南はイスラエルと国境を接しており、国土は岐阜県と同等の面積を有します。山がちな地形で平地は少なく、国土の中央にレバノン山脈、シリアとの国境にアンチレバノン山脈が南北に走っています。
ほぼ全土が地中海性気候に属しており、夏は暑く乾燥し、冬は温暖で多雨となりますが、ワイン産地の中心である山岳部では、一年を通して寒暖差が大きく、冬には積雪が見られます。特に夏は晴天の日が多く、年間の日照時間は3,000時間を超えます。
レバノンのワイン生産の大半を占める主要産地で、大手のワイナリーが拠点を構える地域です。国土を南北に走るレバノン山脈、アンチレバノン山脈に挟まれた盆地で、平均の標高は1,000mほどです。地中海性気候に属しますが、内陸のため沿岸部に比べ乾燥し、寒暖差が大きい地域です。冬には積雪が見られ、周囲の山々からの雪解け水に恵まれるため、乾季の夏も灌漑をせずにブドウの栽培が可能です。畑の多くは盆地にありますが、一部のワイナリーはレバノン山脈東側の中腹に畑を有しています。
赤ワイン用品種はカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、カベルネ・フラン、シラー、サンソー、カリニャン、グルナッシュ、テンプラニーリョが、白ワイン用品種はシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ヴィオニエ、ミュスカが主に栽培されています。土着品種では、白ワイン用のオベイディ(Obeidi)が、主にこのベカー高原で栽培されています。
近年になり小規模なワイナリーの増加した、レバノン山脈より西側の地域です。産地は山間部の標高800m-1,500mに点在しています。地形は入り組んでおり、土壌は石灰を主体としつつも変化に富んでいます。比較的冷涼で降水量が多く、上品な味わいのワインが生産される傾向にあります。栽培されるブドウ品種は、ベカー高原とさほど変わりませんが、土着品種のメルワ(Merwah)はこの地域が原産です。
北部では地中海に近いバトゥルン地域に産地が集中しています。産地は概ね標高100m-800mに分布し、気候は海の影響を受け、他地域と比べて温かく、土壌は石灰を主体としています。果実味に富み、角の取れた親しみやすいワインが多く生産されています。
赤ワインの生産が圧倒的に多く、サンソー、カリニャン、グルナッシュといった南仏品種を主体とした比較的安価なワインか、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シラーを主体としたフルボディが大半を占めています。しばしばオーク樽が用いられ、長期熟成向きのワインも生産されています。全体を通して、果実味と酸味を両立しており、スパイシーなワインが多い傾向にあります。
白ワインでは、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ヴィオニエ、ミュスカといった品種をブレンドしたワインが主流です。オベイディ、メルワといった土着品種は、従来はアラクの原料として主に使われていましたが、ワイン用の品種として着目され始め、近年になり商品化するワイナリーが出てきました。フレッシュでアロマティックなワインが多く、シャルドネやヴィオニエを用いた上位のワインは樽熟成されることもあります。
ロゼワインが占める割合も他国と比べて多く、果実味と酸味を両立した、味わいの濃いワインが盛んに生産されています。一方、スパークリングワインや甘口のワインは、限られたワイナリーしか生産していません。
温暖な気候により過熟となるのを避けるため、8月下旬頃に収穫を始める場合が多く、乾季となる夏は降雨がごく稀なため、年による差は比較的少ないとされています。
近年は主要国際品種への偏重が見直されつつあり、気象条件や土壌が比較的近く、近代のレバノンワインの原点でもある、南仏の品種に回帰する傾向が見られるほか、ピノ・ノワールのような意外性のある品種も見られるようになりました。レバノンの土着品種を掘り起こす動きも始まっており、中にはギリシャ品種の栽培を始めるワイナリーも現れています。
なお、レバノンのワイナリー名や商品名には、しばしばフランス語が用いられています。これは、フランスの委任統治を経たことで、レバノン国内でフランス語が一般的であることや、近代のワイン産業がフランスワインの影響を受けていることに由来します。
写真・文:田村 公祐